Nexus


ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史』の主な論点

ユヴァル・ノア・ハラリの著書『NEXUS 情報の人類史』は、石器時代からAI時代に至るまでの情報ネットワークの歴史を紐解き、「情報」が人類史においてどのような意味を持ち、役割を果たしてきたかに焦点を当てています。この「ネクサス」という言葉は、「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」といった意味を持ちます。

この書籍でハラリが提示する主な論点は以下の通りです。

情報の三つの機能:虚構、真理、そして力

ハラリは、情報を理解するためには、それが社会構築において果たす役割を考えるべきだと主張しています。その主要な機能は次の三点です。

  • 虚構がもたらす秩序: 人間が「ホモ・サピエンス」として地球上で最も繁栄した種となったのは、大勢で協働できる能力があったからであり、これは「我々は数千年の歴史を持つ大和民族である」といった共有された「物語」や「共同主観的事実」(迷信、教義、イズムなど)によって可能になりました。これらの虚構は客観的事実ではないにもかかわらず、人間を団結させ、社会に秩序をもたらす上で極めて重要な役割を果たしてきました。虚構がなければ、社会は際限のない闘争に晒されかねないと指摘されています。
  • 真理がもたらす智慧: 「真理」としての情報は、技術進歩や社会の軌道修正に必要な「智慧」をもたらします。科学者集団のように客観的事実に依拠し、自己否定を繰り返しながら真理に近づこうとする営みがこれにあたります。しかし、真理は往々にして複雑で、人々にとって常に救いとなるわけではなく、社会秩序を直接的に確立する上では虚構ほど有効ではないとされます。
  • 虚構と真理から生まれる力: 虚構と真理は、それぞれが社会の中で機能することで、最終的には「」へとつながります。社会の維持・発展には、虚構による秩序と真理による自己修正メカニズムのバランスが不可欠であるとハラリは説いています。

情報ネットワークの進化と社会への影響

情報伝達の形は古代から現代のSNSへと変化してきました。SNSのような情報環境では、瞬時の拡散が価値とされ、真偽よりも速度、専門性よりも物語の強度が優先される傾向があります。トランプ政権のアプローチは、AI時代のネットワーク特性(分散、高速、感情駆動)を最大限に活用する新たなフェーズと見なされるかもしれません。情報量の増大は、情報の処理技術が追いつかないと、社会を不安定にする可能性があります。


AI時代における課題とリスク

  • 「異質な知能」との対峙: ハラリは、AIは「自ら決定を下したり、新しい考えを生み出したりすることができるようになった史上初のテクノロジー」であり、人間は「人間のものとは異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)」と対峙することになったと指摘しています。人間がAIの思考プロセスや動作メカニズムを理解できないことが、特に問題視されています。
  • 虚構と真理の創造: AIの革新的な点は、今後は虚構や真理を機械が作り出すようになることです。これは、AIが文化や物語を生成する能力を持ち、人間がAIによって生成された虚構によって扇動されやすくなる世界をもたらす可能性があります。
  • 人間制御からの逸脱とデータ帝国主義: AIは核兵器よりも危険な存在になる可能性があり、人間の意思をすり抜けて、たとえ一見無害な目的(例:「ペーパークリップ製造の最大化」)であっても、それを徹底的に追求することで地球を破壊し尽くすような壊滅的な結果を招く可能性があると警鐘を鳴らしています。また、AI革命は「データ帝国主義」をもたらす可能性があり、一部のデータ企業(主に米中)が個人情報を掌握し、各国が自国のデータ保護を強化することで「シリコンのカーテン」が引かれる未来も示唆されています。
  • ポピュリズムと分極化の増幅: ハラリは、ポピュリズムが真実を否定し、力こそが唯一の現実だとする危険な立場だと批判し、AIがポピュリズムが生む分断のメカニズムや、AIが後押しする分極化を加速させると分析しています。

より良い未来のための提言と希望

ハラリは、警告を発しつつも希望を捨てていません。人類社会は歴史的に見れば改善されてきているとし、技術の進歩は方向性を決定するものではなく、それを使う人間が方向性を決めると強調しています。

  • 民主主義維持の原則: AI時代に民主主義を維持するために、AIの利用目的は人間への便益をもたらすものであるべきだとしています。また、データベースは完全監視社会につながらないよう分散させること、国家がAIで人々を監視するなら国家のAI担当者も同様に監視下に置かれること(互酬性)、システムが失敗した際に修正・休止できる仕組みを設けること、といった原則を提示しています。
  • 教育の役割: AI時代に対応するためには、「柔軟な心」を育む教育や「批判的思考」がますます重要になると述べています。また、インターネット上の「ジャンク情報」から精神的な不健康を避けるための「情報のダイエット」の必要性も提言しています。国際協調の重要性も訴え、AIが人間のコントロールを外れないよう、全ての国が協力すべきだと主張しています。

ユヴァル・ノア・ハラリの著書『ホモ・デウス』および『NEXUS 情報の人類史』は、テクノロジーと情報の進化が人類の社会生活にどのような変化をもたらすかについて、広範な論点と示唆を提供しています。彼の議論は、過去の課題克服から未来の新たな目標、そしてAIがもたらす潜在的なリスクとそれへの対応策まで多岐にわたります。


人類の社会生活に起こる主な変化とハラリが提示する「解」

1. 過去の課題克服と新たな人類の目標設定

変化: ハラリは、人類がこれまで歴史的に追求してきた飢饉、疫病、戦争といった問題を、原理的に解決しつつあると論じています。これにより、これらの脅威による死者の割合は歴史的に見て低下しています。

理由: テクノロジーの進歩と国際協力により、食糧生産の増加、医療の発展、核兵器による抑止力などが機能したためです。

新たな目標: これに代わる21世紀以降の新たな人類の目標として、ハラリは**「至福の獲得」(生化学的手段による持続的な幸福感)、「不死の追求」(寿命の延長)、「神性の獲得」(AIなどのテクノロジーによる知性のアップグレード)**を挙げています。ただし、この認識は2023年時点で見ると、新型コロナウイルスや大規模な戦争(ウクライナ紛争など)の発生により、「楽観的すぎた」という批判も存在します。


2. 「虚構の認知能力」と情報による社会構築の変容

変化: 人類が地球上で最も繁栄した種となったのは、神、国家、貨幣、人権といった純粋に想像の中に存在するものを信じる「虚構の認知能力」によって、大人数で柔軟に協力できたためだとハラリは主張しています。情報そのものが社会構築において重要な機能を果たし、社会に秩序をもたらす「虚構」と、技術進歩や社会の軌道修正をもたらす「真理」のバランスが社会維持・発展に不可欠とされます。

理由: 人間だけが、多くの人々の主観的な事実である「共同主観的事実」(虚構)を共有することで、見知らぬ人とも大規模な協力関係を結ぶことができるためです。

AIによる変容: AIの革新的な点は、これまで人間が担ってきた虚構の創造(ストーリーテリング)や真理の発見を機械が行うようになることです。AIが人間を凌駕する質の物語を生成できるようになれば、私たちの思考や行動がAIが作り出す文化に影響を受け、これまで以上に扇動されやすい社会になる可能性があります。


3. テクノロジーとAIの進化による社会の分極化と新たな「テクノ宗教」の台頭

変化: 人類は「人間至上主義」の科学革命を経て、サピエンスを神へアップグレードさせようとしています。未来には「テクノ人間至上主義」(ホモ・サピエンスの歴史的役割の終焉を認めつつ、テクノロジーでより優れた人類モデル「ホモ・デウス」を創造すべきだとする思想)と「データ教」(神や人間ではなく、データを崇拝し、あらゆる現象や物の価値をデータ処理への貢献度で測る思想)という二つの「テクノ宗教」が出現すると予測されています。

理由: 知能と意識が分離し、意識を持たない知能(AI)が急速に発達しているため、人間が遅れを取らないためには自身の脳をアップグレードする必要があると考えられます。データ教は生物学とコンピュータ科学を統合し、電子工学的アルゴリズムが生化学的アルゴリズムを超越すると見込んでいます。

潜在的リスク: 新しいテクノロジーの恩恵が一部の富裕層に集中し、彼らが超人類に進化する一方で、大多数の人々は取り残され、「役立たず階級」になること、さらには自然淘汰される可能性も懸念されています。


4. AIによる統制と民主主義の危機

変化: AIは自ら決定を下し、新しい考えを生み出す「異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)」として台頭し、人間がその思考プロセスを理解できないにもかかわらず、その利用が急速に拡大しています。AIが「ニセ人間」のように人間同士の会話に参加し、正体を明かさずに議論をリードすると、民主主義が崩壊しかねないとハラリは警告しています。SNSでは真偽よりも速度や物語の強度が優先される情報環境が形成されており、AIが人間を凌駕する質の虚構を生成できるようになれば、大衆扇動装置として機能し、民主主義の基盤を揺るがす可能性があります。

理由: AIは人間には理解不能な知能であり、その倫理観や目的が人間の価値観と異なる場合、人間にとって不都合な結果を引き起こす可能性があるためです。また、冷戦期には国家しか持ち得なかったような巨大な力を持つ個人(AI開発をリードするサム・アルトマンやイーロン・マスクなど)の台頭も、文明を破壊する可能性のある大きなリスクだとハラリは警鐘を鳴らしています。

データ帝国主義: AI革命は「データ帝国主義」をもたらし、一部の巨大データ企業(主に米中)が個人情報を掌握し、政府が悪用する可能性も指摘されています。これに対抗するためのデータ保護強化は、開放的なインターネットを分断し、「シリコンのカーテン」を引く可能性があるとされます。


5. ハラリの提言と「解」

ハラリは、テクノロジーが未来を決定づけるのではなく、それを利用する人間がどのような選択をするかによって未来は形作られると強調し、希望を語っています。

AI時代における民主主義の維持

  • AIの利用目的は人間に便益をもたらすことであるべきだと強調しています。
  • データベースは分散させるべきであり、すべてのデータを一箇所に集中させると完全な監視社会につながる可能性があると警鐘を鳴らしています。
  • 国家がAIを用いて国民を監視する場合、国家のAI担当者も同様に監視下に置かれるべきという互酬性の原則を提唱しています。
  • システムが予期せぬ失敗を起こした際に、修正・休止できる仕組みを設けておくことが重要だとしています。
  • AIアルゴリズムを運営する事業者の責任と、AIが関係していることの開示、必要に応じた法的規制の導入も視野に入れるべきだと述べています。
  • 国際協力の重要性を訴え、AIが人間のコントロールを逸脱しないよう、全ての国が協力すべきだと主張しています。
  • 客観的な知を届けるジャーナリズムの役割が、SNSが真偽より速度を優先するAI時代には一層重要になると述べています。

個人の能力と教育の変革

  • 急速な変化に対応するため、人間には「柔軟な心」と「批判的思考」が不可欠であると説いています。
  • AIにはない人間特有の「感情」と「意識」の重要性を認識し、大学教育においても「身体と感情を(上手に)つなげる」必要性があるとしています。
  • 情報のダイエット」が必要であり、ジャンクフードのようにジャンクな情報ばかり摂取していると精神的に不健康になるため、情報の選別と自己管理の重要性を示唆しています。
  • 人類をハッキングするテクノロジーを避けるためには、自己認識と思いやりの心が必要であり、瞑想が現実と物語を区別するのに役立つと述べています。